海外支援活動④:QOLと“歯を残すこと”の関係
パラオで診療していると、日本では当たり前のように考えていた 「歯を残すこと=良いこと」 という価値観が、少し揺らぎました。
もちろん、歯を残すのは大事ですし、そのための技術も努力も日本の強みです。
ただ、パラオで患者さんを診ていると、そもそもの“生活背景”が違う。
その違いに気づいてから、「歯を残すことって、本当に全員にとって最優先なのか?」という疑問が自然と湧いてきました。
今回は、そこに気づくきっかけになった経験を中心に QOL の話をしたいと思います。
■ QOL(生活の質)は「歯の本数」だけでは決まらない
日本で診療していると、
「歯を残す治療」
「できるだけ保存」
「根を活かす」
といった治療方針がごく自然に考えられます。
患者さんからも
「できれば抜きたくない」
「どうにか残せないか」
という声が多いですよね。
もちろん当然の話ですし、セミナーや学会、日々の研鑽はそのために頑張っています。
ただし、これは日本の医療レベルの高さも関係していますし、
“80歳で20本以上の歯を残そう”という国の方針など、習慣として根付いてきた価値観です。
ただ、パラオではそれがまったく違う。
■ “歯を残す”より“今日を生きる”が優先される現実
パラオの診療中、よく聞いたのが
「今日しか来れない」
「明日仕事で島を出る」
「お金がないので、1回で終わらせてほしい」
という声でした。
生活がシンプルな分、
“通院を前提にした治療計画”が成立しない。
だから、どれだけ歯を残す価値を説明しても、
「抜いてください」
という答えになることが多い。
そしてそれは“諦め”ではありません。
彼らの生活と価値観の中では
「今日、確実に痛みを取る」
ことが最も合理的 だからです。
日本のように
「また来週来てください」
「根管治療を3〜4回しましょう」
という発想がそもそも成立しない。
この現実を前にすると、
“歯を残すことが全てではない”
という考えが、初めて腑に落ちました。
■ 歯がなくても“おかゆでいい”という価値観
さらに衝撃だったのは、
若い人は歯を抜いてもあまり気にしないということでした。
年配の方も、奥歯がほとんどない状態が当たり前のようになっていて、
それでも普通に生活しています。
確かに、農耕や牧畜を自前でする国ではないので、
必然的にタンパク質よりも炭水化物がおおく
その為、食べ物は柔らかめのものが多く、
食文化自体が“ガツガツ噛む”タイプではない。
「痛みがなければ食べられるから大丈夫」
「柔らかいものが好きだから問題ないよ」
といった声を実際に聞きました。



もちろん、それが良い状態とは言えません。
ただ、彼らの生活にとっては「それで十分」であり、
QOLは歯の本数ではなく、その人がどう生きたいかで決まる
という当たり前の事実を突きつけられました。
■ 一方で、「しっかり食べたい」人は歯が必要
パラオで出会った60代の方々は、多くが奥歯を失っていました。
現地に20年以上住んでいる日本人の方にも話を聞きましたが、
「やっぱり80歳で固いものを食べ続けたいなら、歯がないと難しい」
という話をしてくれました。
結局、
“どう生きたいかによって、必要な歯の本数も治療方針も変わる”
ということです。
・しっかり噛んで食べたい
・子どもと同じ料理を食べたい
・肉を食べたい
・自分の歯で最後まで食べたい
こういう希望がある人にとっては、歯を守る治療は必要不可欠。
逆に、
・おかゆで良い
・柔らかいものしか食べない
・そもそも食にそこまでこだわらない
こういう人にとっては、そこまで高度な治療は必要ない。
当たり前の話ですが、
日本で働いていると、この“個人差”を忘れがちになります。
■ 「歯を残す医療」は、患者の希望を聞くところから始まる
パラオで診療をしていると、とにかく患者さんが素直です。
「痛いから抜いてほしい」
「今日は眠れるようになりたい」
「お金がないので1回だけで」
シンプルで分かりやすい。

日本では、
「抜きたくないけど、本音では痛くて辛い」
「残したいけど、通院は面倒」
「費用面が不安だけど言いづらい」
など、患者さん側も本音と建前が存在する場面が多いと感じます。
その結果、歯科医師の判断と患者さんの本音の差が生まれがちです。
パラオの診療を経験すると、
“歯を残す”医療のスタートは、患者さんの希望を正直に引き出すこと
だと強く思いました。
■ QOLとは、「その人がその人らしく生活できるかどうか」
結局、QOLを決めるのは
歯の本数でも治療の高度さでもなく、
“その人が望む生活ができるかどうか”
なんですよね。
パラオでの経験は、それをものすごくシンプルに示していました。
・今日痛いなら、今日痛みが取れれば良い
・柔らかいものが食べられれば問題ない
・費用や通院時間のほうが負担が大きい
・高度な治療より、日常の安心が大事
こうした価値観は、日本ではあまり表に出てきません。
でも本来、
患者さん一人ひとりのQOLは、本人の価値観を聞かない限り絶対に分からない。
パラオでの診療はそれを“体感として”理解させてくれました。
■ 日本での診療でも大事にしたい視点
日本では、
歯を残せる技術がある。
通院できる環境がある。
保険制度がある。
それは本当に素晴らしいことです。
ただ、パラオでの経験を通して思ったのは、
「歯を残すことは手段であって目的ではない」
ということです。
目的は、
“その人が最後まで自分らしく食べられること”。
そのために歯が必要なら残すべきだし、
生活の中でどうしても難しいなら、別のアプローチもある。
もっと柔軟で良い。
もっと相手の価値観に合わせて良い。
そう思えるようになりました。
■ 歯科医師としての価値観を揺さぶられた数日間
パラオで過ごした数日間は、
歯科医師としての考えを大きく揺さぶる経験でした。
日本の高度な医療と、パラオのシンプルな医療。
どちらが優れているという話ではありません。
ただ、
“患者さんにとっての幸せはどこにあるのか?”
という問いに向き合う上で、パラオはとても大きなヒントをくれました。


